10/26(水) 83回目オンエア(10/30再放送)。
今週の「未来モーターラヂオ」インタビューは今週はヤマハとプリンス、日産のライダー・ドライバーをされた砂子義一さんでした!
息子さんも砂子塾長の名前で知られる名ドライバーですね。

10/23(日)に「バイクの集い in 浜北」に参加させて頂きました。
どういうイベントなのか、その模様を10/26(水)(10/30再放送)FMいちのみやの「未来モーターラヂオ」からお届けしました。

イベント自体は10/25のブログ参照。


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オープニング。
メッセージ:柿(牡蠣)の話
【リクエスト曲(1曲目】 西野かな 「君が好き」
2曲目:The Clash 「I Fought The Law」

【砂子義一さんインタビュー・オンエア出来なかったオフトーク含む】
 
(浜松ポンポンクラブの写真より)

おんとし84歳。
元ヤマハワークスライダー・プリンス・日産のドライバー。

下記リンクのヤマハ発動機さんのホームページでもプロフィールを見ることが出来ます。
http://global.yamaha-motor.com/jp/race/wgp-50th/race_archive/riders/yoshikazu_sunako/

サングラスがお好きでおしゃれな方です。
ちょっと怖そうに見えますが陽気で楽しい方でした。
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(今年の「バイクの集い in 浜北」での写真)

大阪在住だったころこれからはホンダ・ヤマハの時代になるという話を記者から聞く。昭和31年に切符をもらい浜松にあった日本楽器製造株式会社(現ヤマハ発動機)に行く。
本人は当時たくさんあったバイク製造メーカーがバタバタ倒産するのを知っていて最初はとんでもない!と思ったらしい。

マン島TTに2度参戦。
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(写真:1963年のマン島TT・ベルギーGPでのヤマハチーム 前列が伊藤史朗と砂子義一 日本のモータースポーツ黎明期物語より)

決勝はブレイヒルから1コーナーを曲がったとたんにバイクが止まってリタイヤ。
2年ともリタイヤ。
(本人は神様が走らなくてもいいよとリタイヤさせてくれたとポジティブ)

ジョホールバル・シンガポールのレース。
1位の伊藤 史朗選手と2位の砂子さんとで賞金を分けた。

英語はわからないで行った。
ヤマハのジミーさんという方に教えてもらって話せるようになったが帰国すると忘れてしまう。
アイラブ・ユーくらいしか残らない(笑)。

レースの魅力:(マン島の場合)厚い透明の壁の中を走っていく。
スロットルを他人よりも長く開ける。
競争が楽しい。
男ってものはジャンケンだって負けたくない。
(本人の話では天才ライダーと言われた同じヤマハの契約ライダーの伊藤 史朗にもバイクの差があっただけで負けていないという)

ライバルは自分。

女性のために走っていたのではないかと時々思う。
ストレートで顔が思い浮かぶ。いい服を買ってあげたい。

(ライディングに関して)天才的まではいかないが回数を乗っている。
練習量が多い。人が10回乗ったら自分は100回乗る。人よりも数多く走った奴が勝ち。
ダイヤモンドも磨かないとただの原石。

(じゃ、遊んでいる暇はないですよね?)
遊びにはいくさ(笑)。
それが(楽しみ)あるから。
好きな女性、あの子を(得た賞金で)ギンギラギンにしたい。
他の人に比べるとエロ。

当時のヤマハの川上 源一社長との逸話。
ある時、社内でマシンのメンテナンスをしていると、後ろから名前を呼び捨てにする人がいる。
誰だ!?おまえは!は(相手から名乗れと)と反抗して言ってしまった。
実はその時社長だったと知らなかった。
川上社長にはそのまっすぐなところが気に入られて目をかけてもらったらしい。

マン島のダグラスにあるカジノに伊藤 史朗と行って儲けた話。
(でもいくら儲けたらそれ以上やらないと決めていたらしい)
ギャラの交渉は自分でやった。
お金は使うためにある。
賞金はほとんど使った。

自分でもバイクや車をメンテナンスしたり、メーカーと契約する日本のプロレーサー・プロドライバーの先駆けで、実は天才というよりも人の何倍も練習をする努力の人だったと話が印象的でした。

砂子さん、インタビューに気さくに答えて頂きましてありがとうございました!
またこの場を設けて頂きました「バイクの集いin浜北」委員の皆さま、浜松ぽんぽんクラブの皆さまありがとうございました!

★来週は1963年のマン島TTレース250ccで4位。世界GPなどで活躍された長谷川弘さんになります。

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