11/2(水)放送 ・11/6(日) 再放送 84回目オンエア。
今週の「未来モーターラヂオ」インタビューは今週はヤマハの元GPレーサー長谷川 弘さんでした!
オープニング:ハロウィンの話少し
1曲目:KISS – I Was Made For Lovin’ You
2曲目:長谷川ひろし 「遠州風の唄」 (キングレコード)
長谷川 弘さん:1934年生まれ。今年82歳。
元ヤマハGPライダー。
(写真:ヤマハ発動機 企業サイトより 長谷川さんのページはコチラ)
【長谷川 弘さんインタビュー・オンエア出来なかったオフトーク含む】
・1963年のマン島TT、YAMAHA RD56を駆り、初出場で4位。
資料:コミュニケーションプラザに展示されている1965年式のRD56だろうか。YOUTUBEで見れる。
(ハンドリングがよさそうなマシンに見えるがどういう乗り味だったのだろう)
当時のヤマハ発動機の記録映画だろうか?YOUTUBEにあったのでご紹介。
ゼッケン27番の当時の長谷川さんの姿も見れる。(ゼッケン17番は伊藤さん、ゼッケン23は前出の砂子さんか)
車で5周くらいしか練習出来なかった。
(マウンテン区間手前の)ヘアピンの近辺で道に迷って道に立っていた人に聞く
(レースはどうでしたか?)
トミーロブ(HONDA)を抜く
燃料のガソリン補給はドラム缶のようなものから柄杓のようなもので入れた。
時間がかかってイライラ。
しんどかった
振動があって左足が痺れてしまいクランクケースの上に足をおいた。
マン島TT後、シンガポール・ジョホール・マカオなどのレースにも出場。
1966年に富士スピードウェイで行なわれた日本GPで優勝。
(グランプリ史上初めて125cc、250cc、500ccの3クラスでワールドチャンピオンになる同じヤマハを駆るフィル・リードを下しての偉業だった)
当時のマシンの感想:振動が多い・カブる
シリンダーに鬆(す)が出る
当時のミッションは250ccでも7速まであった。
(のちのGPのレギュレーションで日本勢の得意であった多段ミッションが禁止された)
他のライダーが車の方に行ってしまったのでマシンを1人でテストをすることになった。
競り合いが魅力。優勝したい。
負けん気が強かった。
(バイクの魅力)
バイクは風を切って走る。
4輪よりも技術がいる。
伊藤史朗には追いつけなかった。でも追いつきたかった。
(マン島TTでは伊藤史朗は2位、長谷川さんは4位だった)
歌も先に伊藤史朗が出した。
68年までヤマハのワークスライダー。
その後、静岡県浜松市東区有玉にバイクショップ ハセガワカンパニ-を立ち上げる (現在は息子さんが引き継いでいる)。
ハセガワカンパニ-のホームページはコチラ。
すごく唄がうまかった長谷川さん、インタビューに答えて頂きましてありがとうございました!
またこの場を設けて頂きました「バイクの集いin浜北」委員の皆さま、浜松ぽんぽんクラブの皆さまありがとうございました!
11/6(日)20:00−20:30再放送です。
★来週は筑波選手権に出場しているライダー模様・インタビューをお伝えします!
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