3月に船橋オートさんでの試乗会をやらせてもらった記事を書いたわけですが、歴史好きな自分にとって船橋オートさんが閉鎖されるという話は非常に残念でした。
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見たかったんですが、NHKでもドキュメント72時間「さらば!俺たちの船橋オート」で取り上げられていましたね。
http://www.nhk.or.jp/docudocu/program/210/1199130/

1950年船橋競馬場内に全国初のオートレース場として開設され、日本に存在するオートレースの中では最も歴史が長いです(65年5ヶ月)。

走路としては1968年に近所の船橋競馬場から船橋サーキット跡に移転してきた背景があります。


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この元になった船橋サーキットというのが1965年に開設され、多摩川スピードウェイ・鈴鹿サーキット・船橋サーキットの順で日本で3番目に古い商業サーキットとされています(浅間高原自動車テストコースを除く、また諸説あり現代的な本格的なサーキットという意味では鈴鹿サーキットからだという意見もあります)。

軽くサーキットの歴史を入れながら年表にするとこんな感じです。

1936年 多摩川スピードウェイ(神奈川県川崎市)が日本初の常設サーキットとして開設
1950年 船橋オート、船橋競馬場の内馬場にオートレース専用場として開場
1956年 浅間高原自動車テストコース(群馬県嬬恋村)
1962年 ホンダが鈴鹿サーキットを開設(三重県鈴鹿市)
1965年 船橋サーキット開設
1966年 富士スピードウェイ開設(静岡県駿東郡小山町)
1968年    船橋オート、船橋競馬場から船橋サーキット跡に移転

この船橋サーキットというのが1965年に全日本自動車クラブ選手権レース(カークラブ・チャンシオンシップ)で浮谷東次郎と生沢徹が伝説のバトルをしたということで有名です。

浮谷東次郎は実は私、ファンでしてカラスという童夢の創業者である林みのるが改造したホンダS600を乗っていて当時としてはすごく面白い車作りをしていたと思いますし考え方も面白いなと思います。

浮谷東次郎を知るものとしては高校生の時にアメリカに行った話「俺様の宝石さ」や15歳の時に50ccバイクに乗って、市川―大阪往復1500キロを走った話「がむしゃら1500キロ」を見てください。無限の創立者である本田博俊さん(浮谷東次郎と友人だった)も出てきて面白いですよ。

最近だと「週刊ヤングジャンプ」で連載されていた森田新吾さんの「栄光なき天才たち 浮谷東次郎編」を再編した 「浮谷東次郎物語」がオススメです。

当時の情景(まだ生まれてないけど)が浮かびちょっぴり感動していました。

0-100mをしたところが当時のホームストレートとスタンドです。今も残るグランドスタンドは、船橋サーキットのメインスタンドをそのまま流用されたとされています。

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あとは何か当時のものが残ってないのかいろいろな方に聞きましたが、なかなか知っている方がいません。。。

数年前まであっても今は撤去されてしまったものもあり、さすがにもうないかなと諦めかけたところ、いました!知っていらっしゃる職員の方が!!!!!

試乗会が終わったあとに見学させて頂きました。

何と走路脇の鉄柵が1960年代のものなんだとか。

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建物もなくなってしまう予定ということなので名残惜しいですが歴史の一部分を見れたようでよかったです。

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